旧小判切手の用紙の分類方法を調べてみた

 旧小判切手は手彫切手に続く普通切手シリーズで、1876年(明治9年)5月17日から1879年(明治12年)6月30日にかけて発行されていた。額面は全部で17種類あり、ビジュアル日専 小判・菊切手編によると、5厘 青味灰、1銭 黒、1銭 赤茶、2銭 オリーブ、2銭 青味紫、3銭 黃だいだい、4銭 青緑、5銭 明るい茶、6銭 だいだい、8銭 栗茶、10銭 明るい青、12銭 もも、15銭 黄緑、20銭 こい青、30銭 明るい赤紫、45銭 赤、50銭 明るい紅赤がある。この時期は日本の抄紙技術や印刷技術はまだ未熟で、用紙そのものを海外から輸入して使用したりしていた。そのため、用紙のバリエーションが豊富にあるのが旧小判切手の特徴である。

 一方、製造面で分類すると、表「旧小判切手の製造面における分類」のようになる。この旧小判切手の後期印刷で使用される後期普通紙は、時期的に新小判切手の初期印刷で使用される後期普通紙とほぼ同じ用紙だと思われる。詳しくは「新小判切手の初期印刷と後期印刷の見分け方を調べてみた」へ。

印刷時期初期印刷中期印刷後期印刷
1876年(明治9年)~1882年(明治15年)1883年(明治16年)~1885年(明治18年)1886年(明治19年)~1888年(明治21年)
実用版80面版80面版100面版
用紙厚手無地紙、無地紙、エスパルト紙、白紙薄紙、木綿紙(茶紙/粗紙)ワラ紙、中期白紙後期普通紙
目打ち9s、10、11s、11、12、12 1/28 1/2、10、11L13
旧小判切手の製造面における分類

 旧小判切手 (「日専」を読み解くシリ-ズ)によると、旧小判切手の場合は色調分類する際に用紙分類が必須なようだ。つまり、この9種類の用紙を見分ける必要がある。まとめると、表「旧小判切手で使用された用紙のまとめ」のようになる。

用紙の種類使用時期厚さ主要原料主な特徴
厚手無地紙105μm~木綿
エスパルト紙1876年(明治9年)7月4日頃~1876年(明治10年)頃70~80umエスパルト(イネ科)平滑で良質な肌触り、インク乗りがよく、不透明度が高い。
無地紙1876年(明治9年)10月8日頃~1881年(明治14年)頃~100μm木綿
白色薄紙1878年(明治11年)7月15日頃~1879年(明治12年)頃一番薄い木綿
木綿紙(茶紙)1878年(明治11年)11月1日頃~1880年(明治13年)頃60μm~90μm木綿粗悪
木綿紙(粗紙)1879年(明治12年)後半~1883年(明治16年)前半65μm~90μm木綿髪質は繊維質で腰が弱く、目打ちの切り口が毛羽立っている。
ワラ紙1882年(明治15年)10月1日頃~1884年(明治17年)頃70μm~85μmワラ印刷効果は中程度
中期白紙1884年(明治17年)頃~1887年(明治20年)頃70μm~80μm
ワラ
印刷効果は良好
後期普通紙1887年(明治20年)頃~70μm~75μmワラ
旧小判切手で使用された用紙

 同じ用紙でも、製造業者は海外の業者と国内の民間業者が混在していたり、途中から別の原料が加わったりと素人的にはカオスであるが、これをAIで整理すると下ように体系的なる。

 製造ラインの連続性を考えると、「エスパルト・木綿(用紙輸入)→ 木綿(国産模索)→ 木綿+ワラ(混入開始)→ ワラ+三椏(国産確立・品質向上)」という製造技術の進化が見て取れるようだ。AIはすごい!!

製造技術の進化のイメージ図

厚手無地紙

 原料は木綿で、1876年(明治10年)ごろから1877年(明治11年)ごろまでの僅かな期間だけ使用された。厚さは105μm~130μmと旧小判の用紙の中では一番分厚い。輸入紙である。透かしてみると斑点が見えるものと見えないものが存在する。

エスパルト紙

 エスパルトが原料の白色の上質紙で、印刷効果が極めて良好。エスパルトとは主にスペイン南部や北アフリカに自生するイネ科の多年生植物で、エスパルト紙は軽く、平滑で良質な肌触り、インク乗りがよく、不透明度が高い特徴を持っている。厚さは70~80um。薄手のものは白紙薄紙と見間違える場合があるので注意が必要。海外からの輸入紙だと思われる。主に漉き目は縦方向だが、横方向のものも存在する。特に1銭 黒と2銭 オリーブは、分類上はエスパルト紙となるが、エスパルトと木綿が半々の好き目が横方向のものが存在するとのこと。最初に確認されている使用時期は1876年(明治9年)7月4日で、1876年(明治10年)ごろまでの僅かな期間だけ使用された。

無地紙

 原料は木綿で、厚手無地紙と同質。用紙の暑さが105μm以上を厚手無地紙、100μm以下を無地紙と分類する。ただし、無地紙は基本的には輸入紙であるが、木綿紙が登場した時期以降は国内の民間業者が製造したものもあり、その場合は斑点の状態や手触りが全く違うように見えることがある。使用時期は1876年(明治9年)10月8日ごろで、1881年(明治14年)ごろまで使用された。斑点が見えにくいエスパルト紙と見間違える場合もあるとのこと。

白紙薄紙

 小判切手のなかで最も暑さが薄く、蒼白な感じがする用紙で、原料は木綿。印刷効果も良好。海外からの輸入紙だと思われる。透かすと網目がほとんど見えない緻密な漉き目が横方向の用紙である。使用時期は1878年(明治11年)7月15日ごろから1879年(明治12年)ごろまでの僅かな期間だけ利用された。

木綿紙(茶紙)

 原料は木綿で用紙は茶褐色。印刷効果は悪く、印面が潰れたようになっているものも多々ある。透かすと不明瞭な斑点やキラキラ輝くものもある。主に漉き目が横方向だが、縦方向のものもある。手触りはピンピンしているものが多く、厚さは60μm~90μm。主に輸入紙だが、油性紙とも呼ばれるキラキラ輝く特徴を持つ木綿紙(茶紙)は国内の民間業者製だとも言われている。使用時期は1878年(明治11年)11月1日ごろから1880年(明治13年)ごろまで使用された。

木綿紙(粗紙)

 原料は木綿で用紙は灰色。後期はワラも混入された。木綿中心のために印刷効果は悪かったものが、ワラが混入されるにつれて徐々に改善されていった。粗紙は国産で、印刷局製と民間業者製のものがある。厚さは65μm~90μm。この範囲に入らないものも確認されている。紙質は繊維質で腰が弱く、目打ちの切り口が毛羽立っている特徴がある。100倍の顕微鏡で見れば太い木綿の繊維と細いワラの繊維がはっきりとわかる。1879年(明治12年)後半から1883年(明治16年)前半まで使用された。また、後半には粗紙の特徴を持った縦斑点のものがあり、こちらは木綿紙(縦斑点紙)と別の名が割り当てられている。

ワラ紙

 原料はワラが主体で、他にジンチョウゲ科の三椏が混入されている。三椏の樹皮は和紙の原料として古くから利用されていた。透かしてみると藁屑があり、不明瞭な縦斑点が見える。初期はさらに木綿が混入された横斑点のものも存在する。用紙の色は灰味がかっており、印刷効果は木綿紙よりも良く、中程度。厚さは70μm~85μm。1882年(明治15年)10月1日ごろから1884年(明治17年)ごろまで使用された。

中期白紙

 原料はワラ紙と同様にワラが主体で、三椏も混入されている。紙はワラ紙よりも漂白が進んで白く上質。ワラは稲藁の場合と麦藁の場合がある。透かすと不明瞭は縦斑点が見えるものが多い。横斑点のものも存在する。印刷効果は良好で、ワラ紙から中期白紙へ移行する過程で徐々に漂白が進んでいったため、ワラ紙と中期白紙との判別には個人差が見られる。基本的には厚さは70μm~80μmだが、この範囲には入らない薄手のものも存在する。使用時期は1884年(明治17年)ごろから1887年(明治20年)ごろまで。

後期普通紙

 100面版で使用された用紙で、1886年(明治19年)後半から1892年(明治25年)まで使用された。原料はワラ紙と中期白紙と同様に、ワラが主体で、三椏も混入されている。用紙の色は当初は中期白紙と同様の白色だったものが、黄味がかったものや灰味がかったものもある。横斑点が明瞭な繊維質の用紙は木綿紙(粗紙)と見間違えやすい。旧小判で利用されたのは1887年(明治20年)からである。厚さは70μmから75μm。縦斑点と横斑点が存在し、中期白紙よりも明瞭になった。目打ちが13のものは100面版だけでなく80面版でも存在していたようだが、現在の定義では目打ちが13であれば機械的に後期普通紙と整理できるようだ。

タイトルとURLをコピーしました