旧小判切手や田沢切手を収集するにあたり、より高度な分類に挑戦しようとすると、これらの切手の用紙を分類することが必要不可欠になる。「TIPS:明治時代の国産の切手用紙について調べたことをまとめみた」では切手ができる工程を用紙製造と印刷とに分け、用紙製造を工程毎に分類した。そのうち、技術的ブレークスルーが大きかった項目の一つに抄紙の工程があったので、この工程で使う抄紙機の歴史を調べてみた。この記事では観察はせず、定義を明確にすることを目的とした。抄紙機が変わることによってどのようなブレークスルーが生じたのか、については別途調査する。
抄紙機とは何か
抄紙を一言で言うと、水に分散させた繊維を薄く・均一に広げ、水を抜きながら紙の形に固定する工程を言う。抄紙機は抄紙工程で使用する。抄紙工程は紙の性格の多くを決めると言っても過言ではない程、重要な工程で、抄紙機は抄紙工程で使用する中心的な機械である。
切手シリーズからみた抄紙機の変遷
まずは、ビジュアル日専 小判・菊切手編に記載の情報を参考に、用紙の種類、使用年代、抄紙機について整理する。いつ、どの抄紙機を使って用紙を製造していたのかが見えてきた。切手シリーズ方向からみると使用した抄紙機はこのような関係になる。
| シリーズ名 | 用紙名称 | 実用版サイズ | 使用年代 | 抄紙機 |
| 旧小判切手 | 木綿紙(茶紙) | 80面版 | 1878年~1880年頃 | 民間製 ※初の国産紙 |
| 旧小判切手 | 木綿紙(粗紙) | 80面版 | 1880年~1883年初期 | 民間製 |
| U小判切手 | 木綿紙 | 80面版 | 第一号抄紙機 | |
| 旧小判切手 | ワラ紙 | 80面版 | 1882年~1884年 | 不明 |
| U小判切手 | ワラ紙 | 80面版 | 1882年後半~1885年 | 第二号抄紙機 |
| 旧小判切手 | 中期白紙 | 80面版 | 1884年~1887年 | 不明 |
| U小判切手 | 中期白紙 | 80面版 | 1884年~1887年 | 第二号抄紙機 第三号抄紙機 |
| 旧小判切手 | 後期普通紙 | 100面版 | 1886年~1888年 | 不明 |
| U小判切手 | 後期普通紙 | 100面版 | 1886年~1893年 | 第三号抄紙機 改造第二号抄紙機 |
| 新小判切手 | 後期普通紙 | 100面版 | 1888年~1893年 | 第三号抄紙機 改造第二号抄紙機 |
| U小判切手 | 最後期普通紙 | 400面版 | 1891年~ | 第四号抄紙機 |
国内における抄紙の歴史
旧小判切手が発行された直後は切手として耐えられる抄紙技術はなく、切手用紙を輸入に頼っていた。その後、官民連携して抄紙技術を立ち上げていくことになるのだが、その当時の動向は東急財団資料 G193で詳しく語られている。文中に記載の抄紙機に関する情報をまとめるとこのようになる。先程のタイムラインに出てくる抄紙機の使用年代とほぼ一致していることがわかる。
この抄紙機はお札、印紙、切手などと共用されていたので、設置後直ちに切手用途で使用されたかは不明だが、少なくてもこれらの日付以降にそれまでと特徴が異なる、新たな用紙が出現することになる。
| 抄紙機 | 使われ始めた時期(出典ベース) |
|---|---|
| 1号抄紙機 | 1879年4月:輸入円網抄紙機の模造により「国産の第1号抄紙機を完成」 |
| 2号抄紙機 | 1882年6月:「2号抄紙機を据え付けて紙幣などの用紙を製造」 |
| 改造2号抄紙機(=円網→長網への改造機) | 1887年12月12日:「3台の円網抄紙機のうち1台を長網抄紙機に改造」し、この日に完成 |
| 3号抄紙機 | 1884年6月:「3号抄紙機を完成」 |
| 4号抄紙機(大型抄紙機として新設) | 1888年(明治21年):最新の抄紙設備をアメリカから購入し、製造設備を一新 |
| 名称不明 | 1902年(明治35年):大型抄紙機 1 台の新設 |
第1号抄紙機
この頃、印刷局抄紙部という部署があったらしく、下記の説明のように東急財団資料 G193には有恒社の施設と長網抄紙機で機械製紙を実施、国産の第1号抄紙機を完成させたとある。これが、民間製の旧小判切手・木綿紙や官製のU小判切手・木綿紙にあたると推定される。
1877(明治10)年2月に西南戦争が勃発し、戦局の拡大とともに政府は軍事費の支弁に追われ、抄紙機の購入は望めなくなった。そこで、まず有恒社の施設と長網抄紙機、職工を借りて機械製紙を実施し、1878(明治11)年7月三田製紙所にあるアメリカのライス・バートン社製の円網抄紙機を模造することにした。1879(明治12)年4月この計画は実施され、機械部は国産の第1号抄紙機を完成させた。
さらに読み進めると、三椏を主原料としたとある。ん??どこかで聞いたような気が。そう、旧小判切手の用紙の分類方法を調べてみたに出てきたワラ紙のことである。
抄紙部では雁皮を原料としたが栽培が難しいことから、栽培が容易で耐久力のある三椏で製造できるよう研究した。その結果、1879(明治12)年三椏を主原料とした手漉き・機械抄きの両方で和紙を生産し、紙幣や公債証書、辞令、株券、債券、軍用地図の用紙として使用した。
そして、稲わらを原料とする機械漉きに成功したとある。これが中期白紙のことである。
しかし、雁皮や三椏が不足がちなことから試行錯誤して、1878(明治11)年3月29日稲藁を原料とする機械抄きに成功した。
更に読み進めていくと、下記のような説明があある。これが、明治時代に使われた用紙の特徴を一言で整理できない理由であることがわかってくる。
稲藁の繊維は細短で、紙層の構成が難しいことから繋ぎ紙料として三椏などの繊維を使用した。しかし、多種類の印刷用紙を製造するようになり、ボロも使用することになった。
第2号抄紙機と第3号抄紙機
東急財団資料 G193を読み進めると第2号抄紙機と第3号抄紙機についても記載されている。第2号抄紙機で作成された普通印刷用紙は民間に販売もされていたとのこと。本題からは外れるが、機械を動かすために人力も利用していたそうだ。また、⑤抄紙工程では円網式から長網式への移行が技術的ブレークスルーだったようだが、これは第一号抄紙機から第二号抄紙機に変わったことによて起こったことである。
1882(明治15)年6月、2号抄紙機を据え付けて紙幣などの用紙を製造した。同年、印刷局は蒸気機関20馬力1台、15馬力2台で45台の機械、水力で9台、両方で11台、人力で17台の機械を動かした。
改造第2号抄紙機
さらに読み進めていくと面白いことがわかる。普通印刷用紙を民間に売却していたら民間の経営を圧迫してしまったので、逆に活版・証券部門で印刷用紙を購入から生産に切り替えたらキャパが足りなくなって、生産効率を向上させるために第2号抄紙機を改造したというオチである。
注目ポイントは3台の円網抄紙機のうち1台を長網抄紙機に改造したということである。つまり、2台は円網抄紙機がこの時代に於いても利用されていたことを意味し、時々横斑点の用紙が出現した理由につながると思われる。
その後、1883(明治16)年度には364,730貫余りの機械抄紙を製造し、1884(明治17)年6月3号抄紙機を完成させた。
第4号抄紙機
そして、第4号抄紙機の段階で製造設備を一新したようなので、第4号抄紙機以降は抄紙工程としてのばらつきが少なくなったと思われる。
そこで、印刷局では活版・証券部門で購入していた印刷用紙を生産することにし、3台の円網抄紙機のうち1台を長網抄紙機に改造することにした。これは、1887(明治20)年12月12日に完成した。
抄紙機からみた切手シリーズの変遷
木綿紙・ワラ紙・中期白紙・後期普通紙・最後期普通紙という分類において、抄紙機の差異により用紙の特徴の差異が大きいにも関わらず、用紙の特徴として一括りでまとめると、その後の写真観察の特徴を一言で言い表せず、精度に影響が大きかった。そこで、抄紙機という軸で先程の表をまとめ直してみた。後日、各抄紙機の特徴をまとめていこうと思う。
また、例外はあるものの、例えば明治時代の木綿系用紙は第一号抄紙機で、ワラ系用紙の黎明期は第二号抄紙機と第三号抄紙機で、ワラ系用紙の大量生産期は第四号抄紙機でという姿が見えてきた。ワラ系用紙のワラ紙・中期白紙・後期普通紙が技術的に連続した用紙であるように語られる理由のひとつだと思う。そして、木綿紙からワラ紙の移行は、原料の変更というブレークスルーだけでなく、円網式から長網式への抄紙機のブレークスルーもほぼ同時にあったことが見えてきた。円網式と長網式についてはTIPS:長網抄紙機と円網抄紙機へ。
※抄紙機の使用開始時期は官営抄紙局に導入された時期であり、官営抄紙局は切手用紙以外の用紙も製造していたので、必ずしも切手用の使用開始時期と一致するとは限らない。
| 抄紙機名称 | 方式 | 使用開始時期 | 切手シリーズ | 用紙名称 | 用紙使用年代 |
|---|---|---|---|---|---|
| 不明 | 不明 | 旧小判切手 | 木綿紙(茶紙) | 1878年~1880年頃 | |
| 第一号抄紙機 | 円網式 | 1879年4月~ (明治12年) | 旧小判切手 | 木綿紙(茶紙) | 1878年~1880年頃 |
| 旧小判切手 | 木綿紙(粗紙) | 1880年~1883年初期 | |||
| U小判切手 | 木綿紙 | ||||
| 第二号抄紙機 | 長網式 | 1882年6月~ (明治15年) | 旧小判切手 | ワラ紙 | 1882年~1884年 |
| U小判切手 | ワラ紙 | 1882年後半~1885年 | |||
| 旧小判切手 | 中期白紙 | 1884年~1887年 | |||
| U小判切手 | 中期白紙 | 1884年~1887年 | |||
| 第三号抄紙機 | 長網式 | 1884年6月~ (明治17年) | 旧小判切手 | 中期白紙 | 1884年~1887年 |
| U小判切手 | 中期白紙 | 1884年~1887年 | |||
| U小判切手 | 後期普通紙 | 1886年~1893年 | |||
| 新小判切手 | 後期普通紙 | 1888年~1893年 | |||
| 改造第二号抄紙機 | 長網式 | 1887年12月~ (明治20年) | U小判切手 | 後期普通紙 | 1886年~1893年 |
| 新小判切手 | 後期普通紙 | 1888年~1893年 | |||
| 第四号抄紙機 | 長網式 | 1889年6月~ (明治22年) | U小判切手 | 後期普通紙 | 1886年~1893年 |
| 新小判切手 | 後期普通紙 | 1888年~1893年 | |||
| U小判切手 | 最後期普通紙 | 1891年~ |
官営抄紙局のその後
1890年代になると紙幣用紙に加え、切手・官用紙用途が拡大していき、1899年に抄紙部門は民間へ払い下げられ、これによって王子製紙が設立されたという流れである。そして、払下げとともに、官営抄紙局としての歴史は実質終了することとなった。
余談にはなるが、王子製紙が設立された直後の1902年に大型抄紙機が1台導入されたとのこと。菊切手の用紙の一部はこの大型抄紙機で製造していたと思われる。
製造設備を一新した。その後、郵便はがきや切手その他の使用量が増加し、これに対応するため1902(明治35)年大型抄紙機1台の新設と紙料調整設備の拡張を行った。
観察的特徴の比較
抄紙機要因による顕微鏡で観察するポイントはこんな感じ。
| 抄紙機 | 繊維配向 | 地合い | 厚み均一性 | 表面性 | 完成紙の性格 |
|---|---|---|---|---|---|
| 第一号 | 乱れ大 | ムラ大 | 不均一 | 粗い | 不安定 |
| 第二号 | 弱い方向性 | 改善 | やや均一 | やや平滑 | 過渡期 |
| 第三号 | 明瞭 | 安定 | 均一 | 緻密 | 完成形 |
| 改造第二号 | 明瞭だが揺れ | ほぼ安定 | 均一 | やや柔 | 補助主力 |
| 第四号 | 強く安定 | 非常に均一 | 高度に均一 | 平滑 | 近代的 |
まとめ
抄紙の歴史を紐解くと、ビジュアル日専 小判・菊切手編に書かれていた、初期と後期の原料比率が変わる話や、突如退化したような横斑点の用紙が出現した理由が歴史のストーリーとして見えてきた。また、抄紙機が多様な用途で使われていたことがわかったことも大きな収穫である。切手という世界だけで見ると木綿紙、ワラ紙、中期白紙といった特徴が見えにくく、未だにこの切手の用紙はこれだという断定ができず困っていたのだが、別の用途での情報を集めるともう少し用紙の特徴が見えてくるかもしれない。別の世界の情報を集めてみようと思う。

